五月の連休に仙台へ、深夜の高速バスで京都から8時間、乗客のおじさんが酒飲み大イビキ、
車中の乗客の方は殆ど睡眠できず最悪の車中でした。
乗り合わせたお婆さんは下車した時、一睡もできなかったと愚痴をこぼされていました。運が悪ったのでしょう。
仙台へは3.11の災害を見に行き「語り部タクシー」を貸切り海岸べりの被災地を案内して頂きました。
テレビで見るのとでは大違い、住宅地の建物は津波で流され建物の基礎だけの平地が延々と続く土地、
そんな中、何とか流されず残っている民家、鉄骨造りのワンルームのアパートをまじかで見てみますと、
1階部分が津波の被害を受けガラス戸は割れた儘、家屋内には冷蔵庫、タンス、電気ポット、生活用品が2年前の儘、散乱し、
クローゼットにはワイシャツが7,8枚が泥まみれでぶらている状態でした。
入居者は?アパートの家主は?、、、ガイドさんによれば入居者、家主さんは災害で亡くなられたのでしょう。、、、入居者の親族は?、、、、、亡くなられたのでしょう。
現在の法律ではどうしようも無く未だに放置されている現実、 私も何棟もワンルームの管理をしているだけにショックでした。
その現場を離れるときには頬に涙がこぼれてきました。
仙台市内は青葉通りのケヤキの新緑で道路が広く、道路を挟んでオヒィスビルが整然と美しく建てられ又道路が碁盤の目に整理された美しい町でした。
郊外へ行くと被災地の殺伐とした宅地、田畑。この現状のギャプが悲しく呆然とする私でした。
京都に住む私たちは何と幸せ者か、しかし高浜、敦賀原発が事故をお越し爆発した場合、
京都市内、滋賀県、大阪は人の住めない町に、特に近畿の水瓶、琵琶湖に放射能で被散した場合京都、大阪の飲み水が無くなるという事になります。
この様な想定も、しておかなくては成らないのかもしれません。福島の原発事故は他人事では済まされない京都、滋賀、大坂です。
最後に今一度私たちは大自然の中で生きているのではなく、生かされていることを認識しました。
H25/5/19